1983年9月25日、HM Prison Maze(ロング・ケッシュ刑務所)から38人のIRA(アイルランド共和軍)囚人が脱獄に成功しました。これは、イギリスの平和時における史上最大の集団脱獄事件であり、この脱獄では刑務官1名(ジェームズ・フェリス氏)が刺されたのち心臓発作で亡くなり、ほかに計20名が負傷しました(のちに脱獄者が殺人罪に問われましたが、刺傷と死の因果は立証されず無罪となっています)。
HM Prison Mazeは、北アイルランド紛争(The Troubles)におけるパラミリタリー囚人を収容するために使われた、ヨーロッパでも有数かつ最も悪名高い刑務所でした。1971年に開設され、1976年からは新たに建設された8棟の「H-Blocks」に、いわゆる「テロ関連犯罪」で有罪判決を受けた囚人が収容されるようになります。しかし、囚人たちは自身を政治犯とみなし、刑務所の制服着用を拒否。毛布にくるまって抗議する「ブランケット・プロテスト」を開始し、刑務所内は緊迫した状況が続きました。
この監獄が今なお語り継がれるのは、単なる収容施設ではなかったからです。1981年には、ボビー・サンズをはじめとする10人(IRA7名・INLA=アイルランド民族解放軍3名)の囚人が、政治犯としての地位回復などを求めてハンガーストライキを決行し、命を落とすという悲劇が起こりました。この事件は国内外に大きな衝撃を与え、囚人の地位を巡る問題が世界的に注目されるきっかけとなりました。さらに、刑務所内では共和派とロイヤリスト派の囚人たちが組織化され、当局の管理を離れた影響力を持つことも。「テロの大学」とも呼ばれるほど、出所後に過激な活動を続ける者も少なくなかったと言われています。
2000年に閉鎖された刑務所跡地は、再開発が計画されましたが、紛争の記憶の扱いや政治的な合意形成の難しさから、計画は度々頓挫してきました。2026年4月、北アイルランド自治政府首相のミシェル・オニールは、跡地の再生計画について「極めて現実的な問題」とし、解決に向けた意欲を示しましたが、その道のりはまだ見通せません。
HM Prison Mazeの歴史は、単なる犯罪者の収容という枠を超え、北アイルランド紛争の複雑さと、その記憶が現代にまで及ぼす影響の深さを示しています。
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参考にした情報源: atlasobscura.com


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