「中世の人は地球を平らだと思っていた」は、1828年の小説家の創作だった

歴史・文化

コロンブスが「地球は丸い」と主張したところ、地球は平らだと信じる教会の学者たちに反対された。有名な話ですが、この場面はある小説家が1828年に創作したものです。

順を追って見ていきます。まず、中世ヨーロッパで地球が平らだと考えられていたか。答えははっきりしていて、考えられていませんでした。科学史の研究者リンドバーグとナンバーズは、中世の学者で地球が球体であることを認めなかった者はほとんどいない、と書いています。実際に平面説を唱えた人物として名前が挙がるのは、4世紀初頭のラクタンティウスと6世紀のコスマス・インディコプレウステスの、事実上2人だけです。コペルニクスは1543年に、ラクタンティウスは地球の形についてまったく子どもじみたことを言っていると、名指しで嘲笑しています。

大学の必読書が、第1章で地球は球だと説明していた

もっと分かりやすい証拠があります。1230年頃にヨハネス・ド・サクロボスコが書いた『天球論』という天文学の教科書です。この本は1230年から1600年頃まで、ヨーロッパの大学でおよそ400年にわたって必読書であり続けました。印刷術の登場前から何百もの写本が作られ、今日まで残っています。

その第1章には、地球が球体であることの明快な説明が置かれています。つまり中世ヨーロッパで大学に通った人間は、全員がこの本で地球は丸いと習っていたわけです。ダンテの『神曲』も、地球を球体として、重力が中心に向かうものとして描いています。

では、あの場面はどこから来たのか

1828年、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングが『コロンブスの生涯と航海』という伝記を書きました。この本の第2部第4章に、サラマンカの委員会がコロンブスの球体説に聖書を根拠に反対する、という場面が出てきます。歴史家はこれを、アーヴィングの空想による脚色のひとつだと位置づけています。委員会そのものについても、後世の歴史家は率直な言い方で退けています。

この創作が広まった経路もはっきりしています。ジョン・ウィリアム・ドレイパーが1874年に『宗教と科学の闘争史』を、アンドリュー・ディクソン・ホワイトが1896年に『科学と神学の闘争史』を書き、中世の平面説論者の数と重要性を大きく誇張して、宗教が科学の進歩に敵対してきた証拠として使いました。宗教と科学は常に戦ってきたという図式を作るのに、この話は都合がよかったのです。

そして、反対した学者のほうが正しかった

ここが一番の見どころだと思います。1490年代に議論されていたのは、地球の形ではなく大きさでした。

コロンブスは地球の大きさを実際より小さく見積もり、アジアが東へ伸びている距離を大きく見積もっていました。日本までの距離の見積もりは、実際の4分の1ほどしかありません。スペインの学者たちが言ったのは、聖書がどうという話ではなく、遠すぎる、その船と食料ではアジアに着く前に全員飢え死にする、ということでした。

そして学者たちは正しかったのです。もしアメリカ大陸が途中に無ければ、コロンブス一行はおそらく食料も水も尽きていました。地球の形についても、距離の計算についても正しかった人々が、300年後の小説と、その200年後の啓蒙的な歴史書によって、地球を平らだと信じる愚か者として描かれた。そういう話です。


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参考にした情報源: asa3.org

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