カラオケの発明者は特許を取らなかったので大損した——よく聞く話です。ところが調べてみると、この「惜しい話」の前提が、いくつも崩れます。
まず、発明者が誰なのかが決まっていません。全国カラオケ事業者協会の公式サイトは、創世期の証言として6人を並べて掲載しています。1971年に業務用カラオケ1号機「8ジューク」を作った井上大佑さんは、そのうちの1人。同協会によれば、それより早い1967年頃、日電工業の根岸重一さんが、8トラックのカーステレオにマイクを混ぜる回路を組み込んだ装置を考案していました。2000年代末まで開発者が特定できず、「自称発明者が20人くらいいる」状態だったといいます。
そして2025年6月、電気電子学会(IEEE)は「世界初のカラオケ装置、1967年」として、井上さんではなく根岸さんの装置をマイルストーンに認定しました。根岸さんは2024年1月に100歳で亡くなっています。
「特許を取っていたら、こうは広まらなかった」
興味深いのは、この2人がどちらも特許を取っていないこと、そしてどちらも後悔していないことです。井上さんは香港紙の取材にこう答えています。「当時、特許は無から何かを生み出すような、信じられない発明のためのものだと思っていた。最初のカラオケ機は既存の電子部品を組み合わせただけなので、発明だとは思わなかった」。後悔はないかと問われると、「ない。もし特許を取っていたら、カラオケはこんなふうには広まらなかった」。義兄に特許取得を勧められたものの、断ったという話も残っています。
根岸さんの遺族も似た証言をしています。「特許を取ってたら、お金がありすぎて…健康には過ごしていないと思います」「父はお金より、自分のアイデアで多くの人が喜んでくれることが嬉しかったのだと思います」。井上さんが海外で「発明者」として紹介されることについて、家族としては違和感があったそうですが、根岸さん本人は「いいよ。そんなところで争っても何にもならないから」と言っていたといいます。
特許を取った人は、実在した
そして決定的なのが、「もし特許を取っていたら」の答えが、実は現実に存在することです。フィリピンのロベルト・デル・ロサリオさんは1975年に「シング・アロング・システム」を開発し、1983年と1986年に実用新案特許をきちんと取得しました。1996年には最高裁まで争って勝訴もしています。それでも彼が世界のカラオケ王になることはありませんでした。
ちなみに井上さんは2004年、イグノーベル平和賞を受賞しています。受賞理由は「カラオケを発明し、人々が互いを許容することを学ぶ、まったく新しい方法をもたらした」。授賞式では同賞史上最長のスタンディングオベーションを受けたそうです。1999年にはタイム誌の「20世紀で最も影響力のあるアジア人」20人の1人にも選ばれました。ガンジーや毛沢東と並んだ紹介文には、こう書かれています。「毛沢東やガンジーがアジアの昼を変えたのと同じくらい、井上はその夜を変えた」。
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参考にした情報源: karaoke.or.jp


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