1843年、ある英訳論文が学術誌に載りました。署名は「A.A.L.」の3文字だけ。訳したのはエイダ・ラブレス、詩人バイロンの娘です。
面白いのは、その中身の比率でした。全66ページのうち、原論文の訳は25ページ。残りの41ページは、彼女が付けた注釈です。バベッジ本人が後年、「注釈は原論文の約3倍の長さだった」と書き残しています。
その最後、注釈Gに載っていたのが、チャールズ・バベッジの構想した「解析機関」でベルヌーイ数を計算する手順表でした。これが「世界初のコンピュータプログラム」と呼ばれます。ただし正確には「初めて印刷されて世に出たプログラム」です。バベッジ自身はそれ以前に、もっと単純な手順を何十本も書いていました。ただし発表はしていません。
「この機械は、何も生み出せない」
彼女の独自性は、別のところにあります。注釈Aで、機械が扱えるのは数だけではないと書きました。もし和音の関係を記号として表せるなら、この機械は音楽を作れるかもしれない、と。断定ではなく条件付きですが、計算機を計算の外へ連れ出す発想でした。「解析機関は、ジャカード織機が花や葉を織るように、代数の模様を織る」という一文も残しています。
ところが同じ注釈Gに、彼女はこうも書いています。「解析機関は、何かを生み出すなどという主張は一切持たない。分析に従うことはできるが、分析上の関係や真理を先取りする力はない」。
この一節が、107年後に名指しされます。1950年、アラン・チューリングが機械の知性を論じた有名な論文で、第6節の見出しをこう付けたんです。「ラブレス夫人の反論」。機械は考えられるのか——その論争の原型が、世界初のプログラムと同じ文書の中にありました。
解析機関は完成せず、あの手順が動くことはありませんでした。彼女は1852年、36歳で亡くなります。遺言により、一度も知ることのなかった父の隣に葬られました。
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参考にした情報源: en.wikipedia.org


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