ダイソンの「5127台の試作」は、誰も数えたことがない

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「ダイソンは掃除機を作るのに5127台の試作を重ね、5126回失敗した」。挫折を語るときの定番として、世界中で引用される数字です。ところがこの逸話、掘ってみると面白いことになっています。

まず、この数字を検証した第三者がいません。裏付けはジェームズ・ダイソンさん本人の証言のみで、試作機の実物カウントや当時の記録が公表された形跡はないんです。しかも、英語版ウィキペディアが引用する本人の発言は「私は5127台の試作を作った」となっており、これほど精密な数字に「約」が付くという妙なことになっています。

さらに不思議なのが、この5127台に費やした期間です。資料によって4年、5年、14年、15年とばらばら。4倍近く開きがあります。仮に5年なら1日およそ2.8台、15年なら1日約0.94台の計算です。

「盛った」のではなく、数え方が特殊だった

とはいえ、嘘だと決めつけるのも早いようです。鍵は「試作機」の定義にあります。ダイソンさんの試作は、完成品を1台ずつ作り直すものではなく、一度に1箇所だけ変えて試す反復でした。段ボールの一片を数ミリ動かしたものも、1台と数える方式です。この数え方なら、14年かけて1日1台という数字は十分に現実的になります。つまり誇張ではなく、数え方が特殊だった、というのが実情に近そうです。

ちなみに「5127」という半端に精密な数字だからこそ、これほど引用されたのかもしれません。「約5000台」だったら、誰も覚えていなかったはずです。

製材所の話も、通説とは順番が違う

「製材所のサイクロン集塵機を見て掃除機を思いついた」という有名な話も、実は順序が違います。1978年頃、ダイソンさんは自作の一輪車を作る自分の工場で、塗装の粉が布スクリーンに詰まり1時間ごとに生産が止まる問題に悩んでいました。その解決策として工場用サイクロンに目をつけ、地元の材木商の設備を見に行きます。しかも公式サイトによれば、夜にフェンスを乗り越えて寸法を測ったそうです。掃除機を思いついたのはその後、自宅の紙パック式掃除機の目詰まりに腹を立てたときでした。

「どのメーカーも相手にしなかった」という話にも留保が要ります。実際には英国のクリーニーズ社がライセンスを取得し、1983年から84年にかけて約550台を製造・販売しています。現存は世界で20〜30台という稀少品です。

ダイソンを救ったのは、日本市場だった

転機は日本でした。1986年、商社のエイペックス経由で「Gフォース」として発売されます。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の所蔵記録にも「製造APEX、日本、1986年」と明記されています。ショッキングピンクの本体で、当時の価格は約25万円。日本の記事によれば、実際の製造を担ったのはシルバー精工でした。日本国内に現存が確認できているGフォースは、わずか3台だそうです。

この日本での成功などを元手に、1991年に自社ブランドを立ち上げます。そして皮肉なことに、彼を苛立たせた自宅の掃除機はフーバー製でしたが、後にそのフーバーとの特許訴訟で勝訴することになります(判決は2000年10月、最終的な決着は2002年)。


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参考にした情報源: collections.vam.ac.uk

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