活版印刷を実用化したヨハネス・グーテンベルク。マインツで聖書を刷り上げたのは1455年後半のことでした。ところが、彼が印刷機で最初に量産して現金化した品は、聖書ではありません。日付のはっきりわかる最古の印刷物は、免罪符でした。1454年10月22日付。聖書の完成より1年以上早いんです。
依頼主はキプロスの貴族で、オスマン帝国からの防衛資金集めが目的でした。手書きでは追いつかない量が必要で、白羽の矢が立ったのが、あの新しい印刷機だったわけです。信仰を広める道具である前に、まず現金を生む道具として動いていたことになります。
聖書ができた直後に、工房を失った
じつはグーテンベルク、印刷の前から一攫千金型の事業に手を出しては失敗する人でした。1439年には、巡礼者向けの金属鏡を売る事業に出資を集めましたが、頼みの巡礼行事が洪水で延期になり、回収できずに終わっています。
印刷業でも、資金は出資者ヨハン・フストからの借金に頼っていました。ところが聖書完成とほぼ同時期の1455年11月、フストはグーテンベルクを訴えます。資金を目的外に使ったという主張でした。裁判はフストの勝訴。グーテンベルクは工房の管理権と設備の大半を、そのまま渡すことになります。人類の歴史を変えた本を仕上げた直後に、その本を刷った工房を失ったわけですね。
ただ、話はそこで終わりません。晩年の彼は、意外にも安定していました。1465年、マインツの大司教が彼を宮廷付きに任命し、年ごとの衣装や、穀物・ワインの現物支給、税の免除を与えています。「困窮のまま亡くなった」と語られることが多いのですが、実際は大司教の庇護のもと、1468年に世を去るまで暮らしを立て直していたようです。
ちなみに完成した聖書、印刷部数は180部前後とみられていますが、正確な数はいまも分かっていません。現存が確認されているのは約49部、そのうち完全な形で残るのは20部あまりです。
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参考にした情報源: en.wikipedia.org


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