1934年、オーストラリアはアジアに「初訪問」していた
今から約90年前、1934年のことです。オーストラリアは、自国の外交にとって、ある「初」を経験しました。それは、東アジア・東南アジア諸国へ、公式な外交使節団を派遣したのです。当時のオーストラリアは、まだアジアとの関係において手探りの状態。このミッションは、その後のオーストラリアのアジア政策の、まさに礎となりました。
副首相が率いた「アジアへの窓」
この歴史的なミッションを率いたのは、当時のオーストラリア副首相、ジョン・ラサム氏です。彼は1934年4月から7月にかけて、3ヶ月間、アジア各地を歴訪しました。訪問先は、日本、中国、フィリピン、オランダ領東インド(現在のインドネシア)、シンガポール、マラヤ(現在のマレーシア)など、主要な国々を巡りました。これは、オーストラリアがアジア太平洋地域との関係を深めようとした、初めての公式な試みだったのです。
予想外の「歓迎」と「壁」
驚くべきは、訪問先での反応でした。当時、オーストラリアは「白豪主義」という、人種に基づく移民制限政策をとっていたため、アジア諸国からは警戒されることも少なくありませんでした。しかし、このミッションでは、多くの国で予想以上に友好的な歓迎を受けたといいます。特に日本においては、当時の外務大臣、広田弘毅氏とも会談し、両国間の相互理解を深める機会となりました。
とはいえ、ラサム副首相が「壁」を感じなかったわけではありません。オーストラリア国内には「白豪主義」の考え方が根強く、アジア諸国に対して「オーストラリアは人種差別的な国ではない」と説明する必要があったのです。この外交的なジレンマは、当時のオーストラリアが抱えていた複雑な状況を物語っています。
貿易と未来への「布石」
このミッションの大きな目的の一つは、貿易の拡大でした。ラサム副首相は、訪問先で現地の指導者たちと、オーストラリアからの農産物や工業製品の市場開拓、そしてゴムや茶といったアジアからの輸入品の確保について話し合いました。これは、オーストラリア経済をより豊かにするための、重要な一歩だったと言えるでしょう。
また、このミッションは、オーストラリア国内での「東洋」、つまりアジアへの関心を高めるきっかけにもなりました。それまで、オーストラリアの外交や貿易は、イギリスやヨーロッパに重点が置かれがちでした。しかし、この「Australian Eastern Mission (1934)」の成功により、アジア太平洋地域がオーストラリアにとって、いかに大切な地域であるかが認識されるようになったのです。
ミッションでは、各国の政治や経済、社会の様子についても詳しい情報が集められました。これらの情報は、第二次世界大戦後のオーストラリアが、アジア太平洋地域でどのような役割を果たすべきかを考える上での、貴重なデータとなりました。
見えてきた「未来」の課題
1934年のこのミッションは、オーストラリアがアジアとの関係を築く上での「初めの一歩」でした。しかし、訪問した距離は約20,000マイル(約32,000km)に及ぶなど、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
今、オーストラリアは再び、アジア太平洋地域との関係強化を重視しています。中国との関係や、インド太平洋地域の安全保障など、多くの課題に直面しているからです。そんな今だからこそ、約90年前に、副首相が自らアジアに乗り込み、友好と貿易の道を切り開こうとしたこのミッションの意義が、改めて見えてくるのではないでしょうか。
ということは、過去の外交の成功や失敗から、現代のアジアとの関わり方を学ぶヒントが得られるのかもしれません。
このミッションで収集された情報は、当時のアジアの政治・経済情勢をどのように映し出していたのでしょうか。そして、ラサム副首相は、訪問先でどのような「匂い」や「味」を感じていたのか、想像を巡らせてしまいます。
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