雑居ビルの一角やデパートの屋上から、独特の電子音が響き渡っていた時代があります。それは、日本のアーケードゲームが、ただの遊び道具から社会現象へと駆け上がった、1970年代初頭から1980年代初頭にかけてのこと。
世界初のコイン投入型ビデオゲーム「コンピュータースペース」は、1971年にアメリカで生まれましたが、ビジネス的には成功しなかったんです。でも、その仕掛け人は翌年、「ポン」を世に送り出し、ヒットさせたんです。
日本で初めてのビデオゲームと言われるのは、1973年にセガとタイトーから出た「ポントロン」や「エレポン」。これらは、そんな「ポン」のアイデアを元にしたものでした。
そして、1978年。タイトーから「スペースインベーダー」が登場すると、状況は一変します。大卒初任給が10万円の時代に、このゲームは1日で2万円以上の売上を叩き出すほどの大ヒット。街には「インベーダーハウス」と呼ばれるゲームセンターが乱立し、社会現象にまでなりました。
このブームのおかげで、ゲームメーカーの認知度はぐっと上がりました。でも、その裏で、未成年者の恐喝や盗難といった事件も増え、「ゲームセンターは不良の溜まり場」というレッテルが貼られ、ブームは急速に冷めていくんです。
そんな中、1970年代後半から1980年代初頭にかけて、ナムコが「ギャラクシアン」(1979年)や「パックマン」(1980年)といった、キャラクター性やデザインに優れたゲームを次々と生み出します。これにより、「ゲームキャラクター」という存在が確立されていきました。
個人的には、あの頃のゲームセンターって、機械油や埃、それに若者たちの熱気が混ざり合った、独特の匂いがしたのを覚えています。カラフルな筐体が並んで、ブラウン管の画面がチカチカ光っている光景は、今でも目に浮かびます。
2026年1月には、文化庁がアーケードゲームの技術史を記録するカンファレンスを開いたそうです。タイトーやセガの、黎明期を支えた人たちが集まって、開発秘話が語られたとか。
あの頃の熱狂は、今のゲーム文化の礎になっているんですね。
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