1912年、古書商のウィルフリッド・ヴォイニッチが、ローマ近郊の旧修道院から一冊の写本を買い取りました。手のひらより少し大きいその本は、誰も読んだことのない文字体系でびっしり埋め尽くされ、見たこともない植物や、緑色の液体風呂に浸かる裸の人々の絵が挿し込まれています。以来100年以上、世界中の暗号研究者・言語学者が挑み続けていますが、今も解読された文字は一つもありません。
2009年の放射性炭素年代測定で、羊皮紙そのものは1404年から1438年ごろのものと判明しました。近代の偽作説も根強くありましたが、インクや顔料の化学分析でもこの年代と矛盾する成分は見つかっておらず、正真正銘の中世写本である可能性が高いとされています。
「解読した」は、100年間ずっと同じ結末をたどっている
この写本には「解読成功」のニュースが定期的に流れます。1921年、ある学者が「微小文字の暗号を解いた」と発表しましたが、10年後、別の研究者がそれを「ただのインクのひび割れ」だと指摘し、否定されました。2017年には「ラテン語の略語で書かれた女性向け医学書だ」という説がメディアを賑わせましたが、専門家からは即座に「文法的に意味をなさない」と反論されています。2019年にも「架空の『原ロマンス語』で書かれた文書」という説が「600年の謎がついに解けた」と報じられましたが、写本研究の専門家からは酷評されました。100年間、同じパターンが繰り返されているわけです。
300年前の持ち主も、挑んで諦めていたらしい
そんな中、2024年に興味深い発見がありました。表紙近くのページの余白を紫外線と多重分光撮影で調べたところ、薄れて肉眼では見えなかった3列の文字が浮かび上がったんです。1列目はローマ字のアルファベット、2列目はヴォイニッチ文字、3列目は1文字ずつずらしたローマ字。筆跡の特徴から、17世紀にこの写本を所有していた錬金術師ヨハネス・マルクス・マルツィによる、解読の試みの跡ではないかと見られています。つまり、今から400年近く前の持ち主自身も、この文字と格闘し、そして解けなかった痕跡が残っていたわけです。
写本の中身も、正体不明のままです。113種類描かれた植物画のうち、実在の植物と確実に一致するものはひとつもありません。複数の植物のパーツを組み合わせた「合成植物」ではないか、という見方もあります。折りたたみ式の巨大な挿絵ページには、土手道でつながれた9つの円形の島のような図が描かれていますが、地図なのか、城なのか、宇宙図なのか、これも誰にも分かっていません。
イェール大学は、この写本について「1世紀以上にわたり、解読への挑戦をはねのけ続けている」と説明しています。誰が、何のために、何語で書いたのか。今のところ、確かなことは何もありません。
参考にした情報源: beinecke.library.yale.edu


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