メアリー・セレスト号の「食卓の料理」は、新聞が盛った作り話だった

ミステリー

1872年12月4日、大西洋上で一隻の商船が無人のまま漂流しているのが発見されました。船名はメアリー・セレスト号。船長夫妻と幼い娘、乗組員を合わせて10人が、忽然と姿を消していたんです。

発見時の船の様子は、こうでした。帆は一部展開されたまま、船内には半年分の食料と水が残り、船長や乗組員の金品もほぼ手つかず。ところが救命艇(小型のヨール艇)は消えており、航海日誌は発見の9日前、11月25日の記入を最後に途切れていました。乗組員は取り乱した様子もなく、比較的整然と船を離れたように見えたといいます。

「食卓に料理が残っていた」は、新聞の作り話だった

この事件でよく語られる「暖炉の火がまだ燃え、食卓には温かい食事がそのまま残されていた」という描写。実はこれ、事実ではありません。出どころをたどると、1883年6月のロサンゼルス・タイムズ紙が書いた、脚色たっぷりの再話記事に行き着きます。さらにその7ヶ月後の1884年、当時無名だったアーサー・コナン・ドイル(のちのシャーロック・ホームズの生みの親)が、まったく別の創作短編小説を発表しました。混血の扇動者が乗組員をそそのかし船長一家を殺害する、という完全な作り話です。あまりに真に迫っていたため、当時のジブラルタル駐在アメリカ領事本人が「本当の部分があるのか」と問い合わせたほどでした。以後も1913年、1920年代、1924年と、「生存者の証言」を騙る文学的な偽証言が繰り返し現れ、そのたびに新聞が実話として報じています。

血痕は血液ではなかった、でも14年隠された

ジブラルタルの検事総長は当初、「乗組員が酔って船長一家と士官を殺害した」という説を主張し、船首に見つかった傷を根拠にしました。ところが1873年の科学鑑定で、これは血液ではないと判明します。にもかかわらず、この結果はなぜか14年間公表されず、その間ずっと新聞は「泥酔した乗組員による惨殺」という物語を書き続けました。竜巻による誤警報説、アルコール蒸気の爆発説など、その他の仮説もいくつか唱えられていますが、決定的な証拠はどれにもありません。150年が経った今も、この事件は未解決のままです。


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参考にした情報源: en.wikipedia.org

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