1812年、夏のロシアは、灼熱の太陽と広がる平原が兵士たちを待ち受けていました。その6月22日、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス帝国は、ロシア帝国に対し、外交文書を介して正式に宣戦を布告しました。
この宣戦布告は、わずか2日後に始まる、歴史上類を見ない規模のロシア遠征の幕開けでした。フランス大使ジャック・ローリストンが、ロシア外務大臣アレクサンドル・サルティコフに手渡した文書には、ロシア大使がパリでパスポートを要求したことを、外交関係の断絶とみなし、「ナポレオンは今からロシアとの戦争状態にあるとみなす」と記されていました。
そもそも、両国の関係は水面下で静かに悪化していました。イギリス経済を圧迫するための大陸封鎖令に、ロシアが不満を募らせ、自由な貿易を再開したことが、ナポレオンの怒りを買ったのです。さらに、1812年初頭には、スウェーデンやプロイセンがフランスの影響下に置かれており、ロシアは孤立を深めていく状況でした。4月には、ロシア皇帝アレクサンドル1世の代表がパリで、フランスに対しプロイセンからの撤退などを要求する最後通牒を突きつけていました。
ロシアの歴史学では、このフランスによる侵攻を「宣戦布告なき侵攻」と捉える見方もあるようですが、フランス側は外交文書で意思表示をしています。ナポレオン軍の当初の兵力は約60万人とも言われ、その進軍は、夏のロシアの炎熱と砂塵に包まれていました。
個人的には、この出来事はナポレオンの運命を大きく変える転換点だったと感じています。遠征の末路は、約60万人の兵士のうち、最終的に生還したのが約10万人とも言われ、その後のナポレオンの没落を決定づけることになります。
遠く離れたフランスの皇帝が、広大なロシアの大地へ宣戦布告をした。その文書が、歴史の歯車を大きく、そして無慈悲に回し始めたのです。
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